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岩本 祥悟さん  100期

”ボクは4年間全然ぶれなかった。それこそもう友達のギターを借りては直しまくって、そのうち軽音部の全員のギターを直すとか、扇風機も直すとか、とにかく何でも直したかったんですよ。”

 

サブライム・ギター・クラフト代表

(弦楽器製作家)

知る人ぞ知る西日本屈指の技術を誇る弦楽器工房のオーナー。


インタビュアーは自身のギターリペアや製作を依頼した事がある94期の田巻。

 

田巻:今日はよろしくお願いします。まずは豊高を選んだ理由は?


 中学3年生の時は学力的に行けるか?行けないか?みたいなところだったんです。僕は「ギターを作る仕事をしたい」って思ったのがめちゃくちゃ早かったんですよ。もう中学校ぐらいのときには決めていました。


田巻:それは早いですね。


 田舎だったし。農家の長男だから、とにかく出たいけど、出てからはいずれ戻ってこないといけないんだろうなあって責任を感じてたんですよ。だけど何か手に職がないと、戻ってきてから仕事できないな…って。でも工業高校とかは考えてなかったんです。普通高校に行って…みたいなのを漠然と自分で思い描いていたところ、学力はギリギリだったんすけど、おやじが一言「いける可能性があるんだったらそっちに振ってみれば?」みたいに言ってもらったから、最後にちょっと頑張って滑り込んだ感じですね。


田巻:豊校での3年間を振り返ってみてどうですか?


 入学時はバスケが好きだったんです。中学校のときもバスケ部だったんで。入学当初は高校の3年間はバスケ部で頑張ろうと思ってたんですよ。


田巻:バスケ部ではゴリゴリに打ち込んだ?


 僕は弱小中学校出身だったので、あれでしたけど、最後まではやろうと思ってました。でも、最後までやれなかったんですよ。2年生のときに腰の骨にひびが入っちゃって。10センチ位しか跳べなくなっちゃって。そこからマネジャーみたいなことをしてたけど、辛くなっちゃって、2年生の時にバスケ部を辞めたんですよね。バスケ部を辞めてから友達とバンド始めて、受験までそうやってギター弾いたりして過ごしました。


田巻:普通その年頃でバンドとかやってたら、職人としてじゃなくプレイヤーとして飯食いたい!とは思わなかった?


 いやもちろん、ギター弾くのも好きだったから、ギター弾いて食えるなら…とも思ってました。ただ、その当時から友達のギター借りて直してたりとかしてて…


田巻:もうその頃から現在の片鱗があったんですね?


 下関って、当時はちゃんと直してくれる店とかあんまりなかったし、どこに修理に出せばいいのか?とか高校生ぐらいじゃわかんないじゃないですか。


田巻:うん。中古の楽器をまた買うくらいしか選択がなかったよね。


 友達からギターを預けてもらって、直してあげたらすごく喜んでくれたんですよ。それが自分も嬉しくて。だからその時の経験が、修理とかやってる現在のベースになってるかもしれないですね。


田巻:なるほど。それで卒業後はすぐにその道に進んだんですか?


 3年生の時に調べたら、ギターとかを作る専門学校が一応、東京とか大阪とか都市部にはあって…調べると言っても、当時は雑誌とかに載ってた広告くらいでしたが…そういう専門学校に行きたいって親に相談したんですよ、進路相談の時ね。そしたら、うちの母が泣いたんですよ。


田巻:悲しい意味で?


 そういう訳のわからない仕事はやめてほしい…と言われたんですよね。親もいろんな仕事を経験している訳じゃないから想像がつかなかったんでしょうね。親的にはとりあえず大学に行ってくれた方がいいって。それで、親になるべく迷惑をかけないように「国公立に行ってちゃんと4年で出るから、その後は僕の好きにさせてください」って言って…それで大学に進学しました。

 大学の4年間は、本当にもう、ギターが好きだったから軽音部で毎日ギターを弾いてました。とにかく生活の全てがギター中心でした。でも、留年はしなかったですよ。ちゃんと単位を取りつつ、勉強もちゃんとしてたんですけど、もう生活のほとんどが楽器関係。


田巻:ちなみに都道府県でいうと何県?


広島県です。


田巻:僕もすごい境遇が似てます。僕も広島県の大学で軽音部にいたから。


 僕は広島の県立大。3教科に絞ったんですよ。もう100%受かるように。県北っていうか田舎の方だったんで、本当バンドしかやることなかったんです。


田巻:ボクはギターとかバンドの世界って地域性がすごくあると思ってて…ボクも高校の時にバンドやってたけど、そのバンド友達の一人が福岡に行ったんだよね。大学生の時に福岡に遊びに行ったら、そいつはめんたいロックに染まってた。格好いいの基準がお互い全然違ってて。ボクの年代だと、広島の若いバンドマン達は奥田民生の言葉選びやステージングの影響をすごく受けていたり、吉田拓郎はじめフォーク村のファンが多くいたり…ヴァンヘイレン好きな店主の影響で未だにハードロックが市民権を得ていたり(笑)


 ボクも広島は好きですよ。肌感が合う町っていうかね。町の中心部に行ったら、ジェフ・ベックとかブライアン・セッツァーがライヴに来たりとか、そういう一流ミュージシャンを生で見れたっていうのも良かったし、うん。


田巻:関東とかだと、青学とか早稲田ってプロになる人が多いよね。音大や芸大も多いし。やっぱり地域柄というか、学校やサークルの伝統だったり、どこかで価値観を継承するルートっていうのがあると思う。


 ですよね。演奏者で真面目にプロになりたいなら東京とか、大阪とかに行かないと駄目なんだなって思います、正直な話。でもボクは4年間全然ぶれなかった。それこそもう友達のギターを借りては直しまくって、そのうち軽音部の全員のギターを直すとか、扇風機も直すとか、とにかく何でも直したんですよ。軽音部にいながら「何かコネクションができればいいな」と思いながら音響のバイトもやってて…今でも当時の方々との繋がりはありますね。そして、大学3年生の時にみんな就活始めますが、ボクは就活を一切せずにそのまんま卒業したんですよ。


田巻:高校卒業時に親御さんに宣言してますもんね(笑)


 そうそう。在学中にギターメーカーの見学に行く機会があったんすよ。僕が「ギター作りたい」ってずっと4年間言ってたから、バイト先の音響の人が紹介してくれたんです。長野にある会社に工場見学に行って。でも、そこでそのまま就職出来た訳じゃないんです。3月に卒業して、4月と5月に心当たりのある工場や工房さんに直談判しようと思ってリストアップして面接のための旅を計画しました。アポ無しです。そして、最初に行ったディバイザーという会社で「給料いらないんで雇ってください」って懇願して入れてもらいました。


田巻:メーカーにしたら給料払わないのも困るんでしょうけど(笑)熱意が伝わったんでしょうね。


 「何でもします!」と言ったので、玄関の草とかむしってましたよ(笑)

最初はそんな雑用ばかりだったんですけど、そのうちHPの仕事とか、営業、事務、会長の運転手とか、いろいろやりましたね。同期もいたんですけど、ボクは大学に4年間いたので、2コ下の先輩にいろいろ教えてもらって。仲は良かったんですけど、まあ辛くて。何度も辞めようかなと思う時はあったんですけど、頑張って続けていればいつか製作のほうに回してもらえると思って。その後3年くらい経った頃に、新しい工場(会社)を立ち上げるのにルーキーを集める事になったんですけど、そこの面倒見役のようなポジションに抜擢されました。アコースティック・ギターを作る工場だったんですけどね。


田巻:下関に戻って来たのはどのタイミングで?

 

 中学の頃から手に職を付けないと仕事出来ないな…と思っていましたが、ぼんやりとタイムリミットは30歳って決めてて。30歳になったら独立出来るようにと。ボクは30歳の頃は技術主任というポジションだったんですが、「辞めます」と言ったら会社に引き留められました。最初にいたディバイザー(※日本で有名な上級者モデルのメーカー)の組込みの最終調整の仕事をしていた人が辞めて大変だから「何とか助けてくれ」って逆に頼まれちゃって。ボクとしても、そのグループのメインの仕事(一番大切な仕事)を出来る事になるので、「それなら2年間だけならやります」と言って引き受けました。結局3年間そこで仕事しました。


田巻:そこで手に職をつけたから実家に戻らなきゃと思った?


 まあ、そうですね。でも別にギター作ろうとかリペアの仕事に拘ってはいなかったんですよ。実家に帰って、今まで修行した事を生かして何か出来ればいいかな…くらいにしか考えていなかった。楽器屋でもやろうかなって軽いノリで考えていました。ですが、ちょうどボクが辞める時に、おじいちゃんの職人さん…それこそ国内ギター製作の黎明期からやっていらっしゃった方が引退する事になって、その方から「おまえ、この機械買わないか?」って声掛けてもらって。この仕事って木工機械があるかどうかで捗りが全然違うんですよ。機械が全部揃うなら自分でやってみようかなって。だからこのバカでかい機械と一緒に長野から実家に帰ってきたんですよ。


 ちなみに、大学生の頃にギター弾いてばかりいたと言いましたが、すごく気に入ってるギターが1本あるんです。今でも持っていますが、「どれか1本だけ手元に残すなら…?」と聞かれたなら、間違いなくコレ!というギターなんですが…。それがディバイザーのギターなんですよね。


田巻:10年後にそこの仕事を任されるって感慨深かったでしょうね。


 そうですね。それはもう本当に…



田巻:在校生へのメッセージをお願いします。


 普通に行くと3年しかないんで高校生活を楽しんで欲しいですね。いろいろ友達とかも変わると思うし。部活入ったら部活中心になると思うし、とにかく楽しむのが一番なんじゃないですかね。


田巻:高校生の時点で将来自分はこれがしたい!っていうのがわかってたら、ピンポイントに必要な知識を習得出来る方法はあるんですよね。専門学校でも大学でも。でも、ほとんどの高校生がそれを見つけられないまま、3年間を過ごしますよね。岩本さんは高校生の時点で、ぼんやりとでもギタークラフトへの道を目指してたっていうのはすごい事だと思います。


 そうですね。当時は田舎から出たかっただけなんですけどね(笑)3年間で自分のやりたいことを見つけるっていうのは難しいのかもしれませんね。見つからない人はずっと見つからないと思うし。文武両道と言いつつ、強い運動部に入っちゃうと、練習についていくだけでそれどころじゃない!っというのはありますね。

 だけど、結局決める時はいつか来ちゃうし、タイムリミットっていうか、自分でやっぱり選ばないといけないんで…その時が来るまで自分がやりたいことっていうのをワーッと考えて、やれる事なら片っ端からやってみて、3年間を過ごせばいいんじゃないですかね。


田巻:豊高を目指す中学生に何かメッセージをお願いします。


 僕らの時代は男子校で、軍隊みたいな雰囲気で…学生帽子を振らされたり、裸でプールに飛び込んだりとか、そういう時代ですよ(笑)


田巻:そうそう。パンツ一枚で授業受けたり(笑)でも、最近は応援団長を女子がやってたり…意外とそういう硬派な校風が好きな女子中学生も増えているようです。


 やっぱり憧れの延長だと思うんですよね。自分の進路とまでいかなくても、「格好いいな」とか、「なんかかわいいな」とか、そんなんでいいと思うんです。そういう憧れを感じるから選ぶ、みたいなの方が強いと思うんです。こればっかりは一度しか選べませんからね。


田巻:最後に雑談っていうか、ちょっと音楽談義しましょうよ。僕らの時代(94期)って超絶バンドブームで、小中学生のときにイカ天の全国放送が開始されたんです。日本のロックバンドだと8ビートのバンドが多かったんですけど、イロモノバンドや一発屋もたくさんデビューしてました。高校生の頃はテクニカルブームでイングヴェイとかスティーブ・バイとかポール・ギルバートとかのギタリスト達がギター雑誌の表紙を飾ってて、現在もその時代のギタリストやそのフォロアー達が業界を牽引してたりするんですよね。でも当時はインターネットとかなかったから、TAB譜を見てもどうやって弾いてるのか判らなかった。最近はyoutubeとかで動画も教則も見放題。音源もいつでも何でも手に入る。遠回りが必要ないんですよね。でも、ボクはそういう情報量が多過ぎる現代の若者は不便じゃないか?とも思うんですよね。


 ボクが高校生の頃は、たぶん田巻さんらの頃よりも更にジャンル的にいろいろあって、ミクスチャーとかも始まってましたね。僕はどっちかって言うと高校生のときから音楽の趣味が古いっていうか…高校生の当時はメロコアとかが流行ってたけど、全然ジミヘン聴いてました(笑)憧れとかそういうものもあると思うし、今は音源とかも、CDとかじゃないじゃないですか。1曲単位で購入出来るし。昔はCDアルバムをジャンル別でジャケ買いとかしてましたね。


田巻:そうそう。メタルならとにかくジャケットがグロいやつ!とか。アイアン・メイデン優勝(笑)


 今は逆にあり過ぎて、好きなものを選びようがないんですよね。ジャンル的にもスキル的にも。ちょっとyoutubeで探すと天才キッズとバカテクのオンパレード…お腹いっぱいで見るのがイヤになりますよ(笑)


田巻:でもああいう天才キッズって、絶対親が仕向けていると思うよね。親達はブレない価値観を持ってて、子どものうちに親が自分の価値観を伝導してると思うんですよ。いい意味で。子どもも親の喜ぶ顔見たいしね。たぶんスポーツや伝統芸能や職人さんの世界にも同じ事が言えるんでしょうね。


最後にエレキとアコギだとどっちが好き?どんなプレイヤーが格好いいと思いますか?



 どっちも興味あってどっちも掘ったこともありますけど…結局、最近はシンガーソングライターのギターが一番格好いいと感じています。技術でうまい人ももちろん格好いいと思うし好きですけど、存在自体が格好いい人に敵わないと思うんですよ。ボブ・ディランを初めて知ったときに、ギターなんて何でもいいし、なんならギター持ってるだけで格好いいし。実際レコーディングでは当然いいギター使ってるんですけど。ギターがいいから彼らが格好いい訳ではないんですよね。彼らが弾くから、その楽器にスポットが当たる訳で。なので、究極はアコギ1本持って歌って格好いい人が一番格好いいなと思いますね。


田巻:なるほど。楽器を極めると、究極の楽器は人間なのかもしれないですね!今日は趣味の話も含めてありがとうございました!


 こちらこそ楽しかったです!ありがとうございました!

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