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松永 英治さん  94期(バスケ部)

「豊かな地域社会を次世代に」全力でボランティア

 

令和6年9月現在の主な地域活動

・山口県PTA連合会顧問 

・豊浦小学校・長府中学校合同学校運営協議会会長

・長府中学校区家庭教育支援チーム「子育て応援隊トヨレンジャー」代表

・長府卒業お祝い花火実行委員長

・長府地区まちづくり協議会事務局長

・下関21世紀協会副理事長 

など。

 

豊浦高校を選んだ理由

 父が豊浦高卒業で医者になったこともあって、将来家業を継ぐため医者になるつもりで背伸びして選んだのが豊浦高でした。(1浪した際に医学部は断念。)


3年間を振り返って

 部活動(バスケットボール部)に打ち込んで、今となっては「もっとやれた」と思う反面「あれ以上きついことはもう出来ない」と思い返します。部活では特に仲間のありがたさを実感しました。


卒業後の歩み

 2浪して国際医療福祉大学に進学。作業療法士となって、現在は家業の介護施設の管理者です。学生の時は劣等生だった私ですが、今では「豊かな地域社会を次世代につなげたい」という想いで様々なボランティア団体に所属し中核メンバーとして活動しています。

そのような想いに至ったのも、社会に出てまもなく入会した下関商工会議所青年部がきっかけでした。冨永洋一先輩(79期)に社会の大局的なことを学び、田中粛己先輩(92期)には組織論を学ぶなど多くの豊浦高の先輩方に叱咤激励を頂き、また同期の中村欽光くん(94期)がテーマで取り組んだ「地方創生」にて真剣に地域社会の未来を考えるようになりました。そして平成27年に会長職に喜志永良治先輩(93期)が就任された際に私が専務理事を仰せつかり、理想のリーダーシップを傍で学ぶことが出来ました。

 そのような経験もあって、コロナ初年度の令和2年、町に閉塞感が漂う中で何か明るい時間をつくろうと豊浦小・長府中・豊浦高の3カ所で花火を打ち上げる「長府花火」をまちづくり協議会の中で発案し有志で実行委員会をつくり開催に至りました。その時は「こんなことは2度と出来ない」と思いましたが、経験が詰まれ仲間が増え、それ以降もいろいろなことを行えるようになりました。

 令和3年・4年には山口県PTA連合会の会長を仰せつかりコロナ禍の中でイレギュラーなことが多かったですがおかげさまでいい形で全うしました。並行して令和4年には豊浦小学校創立150周年記念事業の実行委員長を仰せつかり、その時には森健二先輩(74期)にけん引頂き、1600万円以上の寄付金を頂き小学校に貢献出来ました。

様々な団体で活動する中で、どこの場面でも輝いている豊浦高OBがおりとても心強く、社会に出てから豊浦高の絆、真髄をまざまざと感じています。本業は高齢者さんの医療・介護の仕事ですが、今では多くの時間を子供たちのため次世代のために費やしています(笑)。



在校生へのメッセージ

エールのために告白しますが理系で最下位の点数をとったことがあります。出遅れても心に火が付いた時に頑張れば、いくらでも巻き返せるのが豊高生だし、助けてくれるOBや仲間がたくさんいます。


入学を目指す中学生へのメッセージ

どこの学校に入学してもその環境を前向きにどのように活かしていくか自分次第だと思います。ですが、社会に出た時の豊浦高のつながりは、喜びとともに圧倒的メリットです。


 私は社会に出てから豊浦高を誇りに思うようになりました。もったいないので在学中の皆さんは今のうちから素敵な高校生活を過ごし、学校に感謝し好きになってもらえたらと願います。



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