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石原口 一人さん 97期(バスケ部)


”まさかの単身赴任先が下関(笑)”


豊浦高校を選んだ理由


 小学6年生の担任の先生や中学のバスケットボール部の顧問の先生、従兄など身近に豊浦OBが多く、進路選択に大きく影響を受けました。中学のバスケ部の先輩が豊浦のバスケ部で活躍されていたのにあこがれたのも豊浦を選んだ大きな動機だったと思います。


豊浦高校での 3 年間を振り返ってみて

 

 1,2年生は部活動(バスケットボール部)が高校生活の大半を占めていました。それ以外というと、泳ぎが苦手だったので、放課後の水泳補修授業(訓練?)があり、10月ごろまで震えながら泳いだ記憶があります。結局、目標タイムが切れませんでしたが、体育教官の先生に「まじめに補修にきたから許しちゃろう」と勘弁してもらいました。一つ心残りがあるとすれば3年間無遅刻・無欠席で皆勤だったのですが、私の代から皆勤賞の表彰がなくなって、残念でした。必死で通ったのに、、、


写真は1つ上のバスケ部の先輩が引退した日の集合写真です。小生は右端。


豊浦高校卒業後のあゆみ


 熊本大学に進学し大学院まで6年間を過ごしました。実家の家業が建設関係であったので、何となく工学部土木工学科を選びました。大学卒業後は全国規模の建設会社に入社し、現在20年が経過しました。関東エリアでの勤務が長く、千葉に住まいを構えましたが、思いもよらず2年前に下関の工事現場への赴任が決まり、現在、長府にある浄水場のリニューアル工事の責任者をしています。


 次に異動するなら東京近辺を希望していましたが、たまたま下関出身者の会社上層部のかたの進言で長府に転勤が決まったときは、東京の調布ですか?と聞きなおしました。まさか、高校の時と同じルートを使い長府駅経由で職場に通うことになるとは。人生は分からないものです。職場ではお客様や取引先など豊浦の先輩の皆様に出会うことが頻繁にあり、「どこにでも豊浦の卒業生がおるなぁ」と感心しています。下関市民の生活を支えるライフラインの整備に思いもよらず関わることができ、故郷への恩返しができる喜びを感じながら、日々豊浦グッズを手元に置いて奮闘しています。



豊浦高校在校生へのメッセージ


 あっという間の3年間かと思いますが、なぜか卒業する前にはちゃんと豊浦のことが大好きになっていると思います。この貴重な豊高生としての時間を大切にして、この環境を楽しんでください!


豊浦高校入学を目指している中学生へのメッセージ


 いろんな人と出会ってきましたが、豊浦の卒業生ほど自分の出身高を愛している人達はいませんでした。ぜひ豊浦での3年間を味わって、唯一無二の豊浦を体感してほしいと思います。

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