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金田 英之さん 100期(1年間バスケ部)


”将来どうなるのかなんてだれにもわからない。とにかく悔いのないよう自分の興味のあるものに全精力を注ぎ込む。そういう生き方をしていれば、少なくとも過去を後悔することはないのではないかと思います。”


 

金田 英之さん


西南学院大学卒業後、音響関係の仕事に就く

25歳で料理の世界へ。メゾン・ド・ヨシダ、神戸北野ホテルでフランス料理を学ぶ。結婚を機に奥様と半年間世界を旅する。旅の途中にバンコクのイノーベーティブレストラン「ガガン」で2週間経験を積む。帰国後、日本料理『龍吟』で32歳から37歳までの5年間修業。2019年、福岡にて『奈良屋町 青』(ならやまちあお。福岡市博多区)を開業。

 

Q:中学校のときに、豊高へ進学するのを決めた理由を教えてください。

  

 小中とバスケットボールをしていましたので、自分の学力の範囲でバスケの強かった豊浦高校に進学しました。


Q:豊浦高校では、部活等されていましたか?どのような3年間を過ごされましたでしょうか?


 部活はバスケをしていました。部活と勉強、遊びもほどほどに。1年生の頃から試合に出させていただいてましたが、2年生になる直前に椎間板ヘルニアになり、バスケを辞めざるを得なくなりました。僕の学年は全国大会にまでいきました。一年間ですが素晴らしい仲間とバスケができました。


Q:豊高3年間で記憶に残る出来事はなにかありましたでしょうか?


 甲子園出場でバスで応援に行き、バスの中で寝泊まりしたことです。


Q:豊高3年間過ごしたあとの進路はどのように決められましたか?

     

 当時は特に将来やりたいことは見つかっておらず、自分の選択肢をひろげる為に大学へ。福岡の西南学院大学の指定校推薦を頂き、同校へ進学しました。


Q:大学では、どのようなことを学ばれましたか?その4年間は、どのようなものだったでしょうか?


 賛否あると思いますが、勉強よりもそれ以外のことに重きを置いた大学生活でした。音楽のクラブでアルバイトをして、学生社会人関わらず毎晩たくさんの人と接する中で様々な価値観に 触れたり、一年間休学して海外を旅したりしたのも大きかったです。多様な考え方や文化に触れることができたのが、大学生活で得ることのできた僕の人生における大切なものです。


Q:大学卒業後の進路はどのように決められましたでしょうか?また25歳でメゾン・ド・ヨシダに入られるまでは、音響の会社とのことですが、どのような会社生活だったでしょうか?思い出等はありますでしょうか?


 音楽が好きで世界中の音楽イベントを追いかけ、自身もDJをやっていた為、卒業後は東京の音響会社に就職しました。ジャニーズなど有名アーティストのコンサートの音響や、テレビの音響(エンタの神様)など。倉庫から100kg超えのスピーカーやアンプをトラックに詰め込み、コンサート会場で配線する。毎日引越しを繰り返すような肉体労働で、再びヘルニアが再発。スタジオ専門の音響として続けていくこともできたのですが、そこにやりがいを見出せず辞職しました。


Q:25歳でメゾン・ド・ヨシダに入られるまで、料理関係の仕事は全くしていないということでしょうか?どのようにして、一念発起して料理家を目指すことになったのでしょうか?


 料理は全くの素人で、専門学校にも行かずに料理人になりました。音響技師としての道が途絶え、これからどうするか考えた時に自分は25歳。将来は自分自身で何かをやりたいという思いは常にあり、この年からだったら料理人として自分のお店を持つというのが一番現実的で近道であるように思えたというのもあったと思います。ですので、その中で最も難易度の高そうな高級フランス料理を学ぶことを選びました。



 

奈良屋町青(ならやまちあお。福岡市博多区) 


カウンター9席、日本料理をベースにしたフランス料理のテクニックを使ったちょっと驚きのある料理を提供。1年先まで予約が埋まるほどの名店。

 


Q:結婚を機に行かれた奥さんとの半年間の海外旅行はどのようなものでしたか?

 

 元々21歳の時に一人で一年間世界中を放浪し、たくさんの素晴らしい景色を見たり経験したりする内に、将来は自分の妻とこの感覚を共有できればと思うようになりました。二人でお金を貯めて31歳の時にアジア、中東、アフリカ、ヨーロッパと旅をしました。エベレストベースキャンプまで登ったり、レンタカーを借りてキャンプをしながらナミビアをドライブしたり、素晴らしい思い出ばかりです。また、途中興味のあるレストランで働かせてもらいながらの旅で、世界の食文化も吸収しながら旅をすることができました。


Q:料理に限らず、プロの道を目指している、又は、歩んでいる豊高後輩も多いと思います。金田さんにとって「プロ」の定義とは何でしょう?また、その世界で一流になっていくには必要とされるものは何でしょうか? 

 

 何よりもその仕事を好きであることが一番だと思います。その中で一流になりたいのであれば、自分が一番尊敬する人の下で仕事を教わることが一番の近道です。あとは運です。ただその運は、自分の常日頃の生活習慣に深く結びついているものだとも思います。


Q:進路や将来、人生について悩む豊高生にかける言葉が何かあれば、お願いします。

 

 みんな悩みますよね。僕も大学時代「自分はどうやって生きていこう?」という問いが常に頭の中にありました。今は世界の流れが加速度的で、「こうやって生きていけば大丈夫」というような教科書的な生き方が通用しなくなっています。25年前は、公務員になるとか一流企業に就職するといったことが良しとされていたように思います。僕が一年間休学して旅に出た時、大学卒業して音響会社に就職した時、仕事を辞めて料理人になった時、親は残念に思ったと思います。

 ただ、僕は自分の興味のある方向へ全力で飛び込んでいきました。様々な環境を経験してきたからこそ、他の料理人にはない個性を発揮できているのだと思います。将来どうなるのかなんてだれにもわからないので、とにかく悔いのないよう自分の興味のあるものに全精力を注ぎ込む。そういう生き方をしていれば、少なくとも過去を後悔することはないのではないかと思います。


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