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釘丸 恒治さん 82期

更新日:8月22日

「82期便り 令和6年同窓会」

大人の修学旅行


 令和5年9月2日(土)から3日(日)までの1泊2日の日程で、念願であった大人の修学旅行を実施しました。我々82期が在学していた当時の豊高は男子校であり、学校行事として修学旅行はありませんでしたので、実に卒業以来、43年越しの修学旅行となりました。

 一昨年、我々は還暦という人生の大きな節目を通過して、定年退職して第二の人生を歩み始めた者も徐々に出始めたため、この大人の修学旅行の企画が持ち上がったものです。参加者(敬称略)は、82期代表の山田幹二をはじめ、足立真吾、和田薫、前上信幸、松尾直樹、平山善一、國津幸博、中村英樹、冨田浩二、萬松松木、釘丸恒治の総勢11名でした。

 この大人の修学旅行の企画、立案、実施に獅子奮迅の大活躍をしてくれたのは82期の宴会部長で修学旅行実行委員長の足立です。足立は若い時から旅好きの鉄道オタクで、旅行の行程表の作成、JRの切符の手配、ホテルの宿泊者名簿の作成等、旅行に係る諸事の一切合切を一人で担い、修学旅行の当日も添乗員として個性豊かで我儘な一筋縄ではいかない曲者達を引率してくれました。修学旅行が実現できたのは足立の熱意と実行力のお陰です。足立、本当にありがとうございました。


 大人の修学旅行の目的地に選んだのは、大分県の別府温泉です。昭和世代の我々にとって別府は修学旅行のメッカとして強く印象に残っており、距離的にも下関から適当であることからすんなりと決定しました。また、國津が近隣の大分市に居住していることも決定の大きな理由の一つでした。國津は足立から現地駐在の実行委員に任命され、足立の指示の下、別府のナイトスポットの調査等の現地での情報収集や東京組の大分空港までの出迎えに当たってくれました。國津、お世話になりました。


 修学旅行の初日(9月2日)は、下関からの参加者は小倉駅に集合し、電車で別府駅まで移動しました。大人の修学旅行ですから、移動中はもちろん宴会です。正確に言いますと午後1時半の集合時には大半の参加者が既にアルコールを補給済みであり、良い気持ちでテンションも上がっており、幹事や添乗員の話もうわの空の状態でした(笑)。電車に持ち込んだアルコール飲料も瞬く間に消費され、学生時代の懐かしい昔話で盛り上がっているうちに別府駅までの約1時間半の移動時間はあっという間に過ぎていきました。



 

 宿泊先は別府の巨大リゾートホテルで誰もが知っている有名な杉乃井ホテルです。杉乃井ホテルは敷地内をマイクロバスが循環するほど広大な面積を有し、現在も巨額の費用を投じて大規模な施設整備を進めています。令和5年1月には新館の宙館がオープンしたばかりでした。その巨大ホテルの総支配人を務め、1000名近い従業員を指揮監督されていたのは豊高80期の鞍馬先輩でした。鞍馬先輩には大変お忙しい中、我々のチェックインに際してわざわざお出迎えをいただき、宿泊に際しても大変お世話になりました。鞍馬先輩、本当にありがとうございました。

我々は新館の宙館に宿泊させていただきましたが、部屋は広くて綺麗で、窓からは別府湾をはじめ別府市街が一望できる大変素晴らしい眺めでした。また、屋上の大浴場、宙湯からの眺望は息を呑むほどの絶景で旅の疲れが吹き飛びました。夕食はビュッフェ形式でしたが、眺めの良いテラス席で和洋中の多種多様な美味しい料理に舌鼓を打ち、お酒も進んで会話も弾みました。大変素晴らしいホテルで待望の修学旅行が実施できたのは一生忘れられない記念になりました。酒が入るとついつい校歌を歌いたくなりますが、杉乃井ホテルは高級ホテルであり、夕食会場はオープンスペースでもあったため、我々豊高生の習性を知り尽くしている鞍馬先輩からは夕食会場で校歌だけは歌うなよと事前に強く釘をさされていたため、校歌斉唱だけは必死に思い止まりました(笑)。



 楽しい夕食を終えると、別府の繁華街に繰り出すグループと部屋でバスケットボールの日本代表を応援するグループの二手に分かれました。修学旅行のこの日は、ちょうど男子バスケットボール日本代表が48年ぶりに自力でオリンピック出場をかけた運命の大一番の試合が行われました。バスケットボール応援組は一つの部屋に集まり、大画面のテレビにかじりついて日本代表を一生懸命応援しました。応援の甲斐あって日本代表は勝利し、見事にパリオリンピック出場を決めました。劇的な勝利で興奮冷めやらない応援組は、もう夜もかなり遅い時間にもかかわらず繁華街に繰り出すこととなり、先発グループと別府駅近くのスナックで合流し、再び勝利の宴が始まりました。もう何次会かわかりません(笑)。



 ここで初めてこれまで封印されていた本日1回目の豊浦高等学校校歌の斉唱です。豊浦の校歌は日本全国どこに行ってもカラオケで歌えます。別府のスナックのママさんは大変驚いていましたが、全員で気持ち良く校歌を熱唱し、夜の別府の街に豊浦の校歌が響き渡りました。この後も何度も校歌を歌っては盛り上がり、仕舞いにはスナックのママさんも校歌を口ずさめるまでに歌い尽くしました。そして、修学旅行1日目の別府での楽しい夜は更けていきました。

大変楽しい別府の夜でしたが、大半の者が寝静まった後、深夜の別府では、夜の別府大捜査線事件と土曜サスペンス謎の土佐衛門未遂事件という二つの事件が発生していました。還暦過ぎても未だに学生気分が抜けないというか、何とも豊浦らしいというか、82期らしいユニークな事件です。これこそ何が起こるか油断できない大人の修学旅行の醍醐味でしょう(笑)。紙面の都合により、この二つの事件の詳細については別の機会に譲りたいと思いますが、ただ一言、言えることは、酒は飲んでも飲まれるな、飲みすぎには注意しましょうということです。(余談ですが、下関に戻ってからも続編として夜の豊前田大捜査線事件も発生しました。)本当に懲りない面々です(笑)。なお、事件と言いましても、警察沙汰や法令違反、公序良俗に反する行為等、豊浦の名誉を汚すものでは一切ありませんので同窓生のみなさんどうぞご安心ください。


 修学旅行2日目(9月3日)は、ゆっくり朝風呂に浸かって、杉乃井ホテルの美味しい朝食を食べてから、海峡メッセ下関で開催された第123回同窓会総会にみんなで向かいました。4年ぶりのフルスペックの総会で、コロナ禍前と同規模の約1000人で肩を組んで校歌を歌えたのは大変感激しました。そして修学旅行2日目も同窓会総会から引き続き、二次会、三次会と長い夜になり、校歌を思う存分何度も歌いました。

今回初めて待望の修学旅行を実施しましたが、予期せぬハプニング(事件)はあったものの関係者のご協力により大変楽しく、思い出深い旅行となりました。参加者の評判も良く、実行委員長の足立も気を良くして次回に向けてやる気満々ですので、また機会があれば第2回目の修学旅行を実施したいと思いますが、その為には健康が欠かせません。我々も還暦を過ぎ、普段の会話の話題にも病気の話が頻繁に上がるようになり、身体のあちこちにガタが出始めています。82期の皆さん、残りの人生、これからも健康に留意して共に楽しい時を過ごしていきましょう。




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